寺西俊一 プロフィール
Teranishi Shun'ichi Profile
Modified: April 2, 2004
■学歴
- 1975年3月 : 京都大学経済学部経済学科卒業
- 1975年4月 : 一橋大学大学院経済学研究科修士課程入学
- 1977年3月 : 同課程修了(経済学修士)
- 1977年4月 : 一橋大学大学院経済学研究科博士課程進学
- 1980年3月 : 同課程単位取得
- 1980年6月 : 同課程退学
■職歴
- 1980年7月 : 一橋大学経済学部専任講師
- 1985年4月 : 一橋大学経済学部助教授
- 1988年9月〜1989年3月 : London School of Economics 地理学部客員研究員(文部省在外研究員)
- 1990年6月〜1994年3月 : アジア経済研究所外部研究委員(兼任)
- 1992年4月 : 一橋大学経済学部教授
- 1998年4月 : 一橋大学大学院経済学研究科教授(経済学部教授兼任)
■学内教育活動
●経済学部
- 「環境経済学」
- 学部向け講義の「環境経済学」では,現代の環境問題および環境政策をめぐる現実 の具体的な動向や課題を中心にした講義を行っている.必要に応じて,OHPやビデオなども教材として使用し,受講者に現実の環境問題および環境政策に対す る関心を高めてもらい,また,その歴史と現状に対する的確な基本認識をもってもらうことをねらいとしている.
- >> 環境経済学-2003講義要綱(PDF/7KB)
- 「学部3年ゼミナール」・「学部4年ゼミナール」
- ゼミナールでは、学部3年については前半をテキスト輪読,後半を長年の伝統となっている他大学ゼミとの「交歓セミナー」(毎年12月)に向けての共同論文の作成および発表という課題を与えている,4年ゼミについては卒業論文作成の指導を行っている.
●大学院 経済学研究科
- 「環境経済論」
- 大学院向け講義の「環境経済論」では,現実の環境問題および環境政策のあり方をめぐる理論的・政策的な諸問題に対する経済学分野からの様々なアプローチの意義と今後の課題等について検討する講義を行っている.
- >> 環境経済論Ⅰ-2003講義要綱(PDF/7.36KB)
- 「大学院ゼミナール」
- 大学院では,近年、参加者が多くなっているので、マスターゼミとドクターゼミに分け,それぞれ修士論文や博士論文等の論文作成指導や研究指導と合わせ,合同でのテキスト輪読やゼミ合宿,現地視察調査なども実施している.
■現在の研究テーマ
- 環境経済理論
- 環境政策論
- 都市政策・地域政策
■寺西俊一 インタビュー
聞き手 : どうして環境経済学を専攻しようと思われたのですか?
寺西 : 私が大学生だった1960年代後半から70年代の時代背景的な状況として,いわゆる戦後日本の高度経済成長の裏側で起こっていた,環境へのネガティブな様 々な諸影響,しかも日本の場合,それが人の健康の破壊までいきつく公害被害となって表面化したという問題がありました.その典型的な例として,ご承知のよ うに熊本での水俣病,新潟で起こった第二水俣病,富山県で起きたイタイイタイ病,そして私が最もインパクトを受けた三重県での四日市ぜんそくといった,当 時のいわゆる公害問題があったわけです.
何故私が四日市ぜんそくに最もインパクトを受けたのかというと,中学2年の修学旅行で,最新鋭の設備であるというふれ込みだった四日市コンビナー トを見学した経験があったからです.当時は東京オリンピックの開催前,しかも日本経済は高度経済成長期でした.その時は経済成長の裏に潜んでいた問題を知 る由もなく,日本経済の原動力であるといわれていたこのコンビナートを見てすごいと思いましたね.
しかし1972年7月24日に下された四日市公害裁判の判決で,わずか9人の原告が通産省をバックに持つ大企業六社を相手に勝訴するという,当時 きわめて衝撃的だったニュースに接した時,中学生の時に抱いていた四日市のいわゆる表の華やかさとの大きな落差を感じました.また,その後,実際に四日市 公害被害の現場も視察して,この問題は日本経済のアキレス腱的存在だと思いました.それと同時に,「経済学はこのような問題にこたえているのか.むしろ経 済成長を最優先し,そこから発生する負の要素を軽視しているんじゃないか」といった経済学に対するフラストレーションがありましたね.
ちょうどその頃,私は大学四年生で将来の進路についていろいろ迷っていたのですが,この裁判直後にあった大学の特別集中講義での先生が,当時,公 害の問題に取り組んでおられ,裁判で唯一,経済学者として証言台に立った宮本憲一教授だったのです.(当時はまだ「環境経済学」という学問は存在していま せんでした.)
この講義は『公害と政治経済学』というテーマだったのですが,最後に宮本教授が「今,経済学者の中で現実の公害や環境問題の研究に取り組んでいる のは私か,都留重人教授ぐらいしかいないが,だからこの問題は新しい世代の君達が取り組むべきテーマである.環境問題はこの四日市の事件では終わらない. まだこの後に水俣判決があるし,これから20世紀後半になると環境問題はますます大きな問題になるであろう.だから君達も果敢に挑戦して欲しい」とおっ しゃったのです.
そしてこの講義を聞いて,自分は経済学部に在籍しているけれども,環境問題に法律分野とは違った経済学分野からのアプローチもできると思いました.このように,私がこの分野を選んだのは,宮本教授に大きく影響されたからです.
聞き手 : 先生はこの度「アジア環境白書」の英訳版を出版なされましたが、出版に至った経緯を教えてください.
寺西 :これは以前刊行した「アジア環境白書1997/98」(東洋経済)を再編集して英訳したものですが,再編集する際に,第四章の生物多様性は欧米の方が資 料が豊富なので省いたり,日本版が出版された以降に起きた新たな事項を盛り込んだりしました.また英訳する際には,直訳すると欧米人に意味が全く通じない 文章になってしまう恐れがあったので,英語圏出身の方で日本語にも環境問題にも精通している,リック・デービッドさんという方に頼み,彼が日本語版を読ん で,それから英語にわけし直すという方式を取りました.ですからリックさんの執筆といってもよいかもしれませんね.
しかし英訳版を出版したのは,欧米人向けというのが主な理由ではないのです.むしろ,アジアで環境面において何が起こっているのかを,アジアの我 々自身が共通認識して把握しなければならないと考えたからなのです.ヨーロッパでは長い歴史の反映としてEUが発足し,そしてEU全体で共通環境政策の枠 組づくりを進めていますが,アジアではまだそういう段階には至っていません.経済面では,APEC(アジア経済協力会議)の枠組づくりが進められてきてい ますが,環境庁は1992年からエコアジアといって,アジア各国の行政レベルの担当者を集めた国際会議を毎年一回開いているのですが,我々は,NGOのサ イドから各地の実態・現場の問題をきちんと取り上げて,それを下から組み立てたものを白書としてまとめ,問題を認識し,そこからアジア全体でどうするかを 考え,協力的な枠組みを作っていきたいと考えています.
いうのも,今アジアでは,拙著『地球環境問題の政治経済学』(東洋経済)でも述べましたが,ここ二十年で環境問題が非常に国際化し,日本だけと か,中国だけとか,韓国だけとかいうバラバラな状況ではなく,お互いにリンクしており共通で取り組んでいかなければならない状況になってきているからで す.
だから日本語版だけではなく,読める人が比較的多い英語版を出版したのです.本当はアジア各国語版を作りたいのですが,『地球白書』を出しているワールドウォッチ研究所ほどお金が無いので(笑).でも韓国版はもうすぐ出版されますよ.
聞き手 : 先生のこれからの抱負はなんでしょうか?
寺西 : 私は環境経済学を専門にしてきたわけですけれど,始めた当時はまだそんな名前もなく,模索しながら進めてきました.それでも十年くらいすると,環境問題の重要性に対する人々の意識も非常に高まってきて,環境経済学も注目されるようになったんです.
そして91年に環境経済学の教科書を出したことがきっかけとなって,95年に一橋で400名ほどが集まって,環境・経済政策学会という新しい学会 を設立するためのシンポジウムが行われました.その翌年に正式に学会が発足したのですが,いまでは1,200名以上の会員をもつ社会科学系では最大規模の 学会になりました.
そういった意味では,かつては全くマイナーな存在だったのが,いまではメジャーな学問分野となってきているのですが,その一方で,今度は環境経済学はどうあるべきなのかという質的な内容が問われる時代になってきています.
今までいろいろ(環境経済学について)考えてきた者からみると,これまで一人で旗を振っていたのが,急にわぁっと人が集まってきたという感じで す.いつのまにか環境経済学という大きな大河になってきて,それはそれでいいことですが,でも逆にその大きな流れに押し流されてしまうような不安感があり ます.
というのも,本来私が考えてきたような環境経済学の精神はどこにいってしまうのか? そこでの本来の学問的使命はなんだったのか? ということを改めて考え直さなければならない気がするのです.
私は少なくとも環境経済学の最初の原点である様々な環境被害を直視して,そういう被害をなくすための政策課題に,経済学がどれだけ学問的に取り組めるのかを考えていきたいですね.
あと,これからは,今までやってきた二十数年間のキャリアを活かして,次の世代を育てていきたいですね.
聞き手 : どうもありがとうございました.
『Bridge』(一橋大学留学生センター) Vol. 13, 2000年, pp. 34-35